自叙伝『母にはバレていた』

自叙伝『母にはバレていた』


私は、アメリカで2年、女性として生活をしました。
2年が経ち、いよいよ帰国となりました。
そのときは、女性の服を着るのが当たり前になっていて、
私は、日本へのケネディ空港に立ったとき、女性の姿をしていました。
男の暮らしはもうできないと思って、
ここのままの姿で帰って、一気に家族にカムアウトをするつもりでした。

我が家に着いたのは、夜でした。
私は、焦げ茶色のワンピースを着たまま、「ただいまー。」と言いました。
家族は驚きましたが、私は、自分が性の発達障害(DSD=IS)であることを告げ、
なんとかわかってもらいました。

アメリカに行く前の学生であった4年間、
私は、ストリートで詩を売ったり、
ゴールデン街の「典子ママ」のところでアルバイトをしたり、
日曜日は、女装クラブで過ごしました。

私は、家の離れのようなところに、部屋をもらい、
勉強の傍ら、こっそり女装をしていました。
「典子ママ」のところで女装ができるのに、それ以上の女装は必要ないようなものでしたが、
自分の着たい女性服は、また、別なのです。

私は、少し夜型になっていましたので、寝るのは夜中の3時ごろ、
この時間になると、家族は寝ています。
こうして、深夜を過ぎて女装を楽しみました。

レディスの服は、増えるばかりで、
私は、不透明のビニール袋に入れて、机の下や、ベッドの下に隠していました。
女装クラブで撮ってもらった、写真もかなりたまっていて、
輪ゴムで結んで、ケースの中に入れていました。

バレないと1度思うと、どんどん大胆になるものです。
私は、少し手を伸ばせば、届くところに女物を置いていました。

しかし、あるとき、ドキッとしました。
私の女物の袋が少し、片付いているのです。
そして、女装クラブで撮ってもらった写真が、
トランプのように、きちんと揃えられ、ケースに入っているのです。

母が、片付けたんだ・・と思い、
いっぺんに冷や汗がでました。
どうやって、言い訳しようかと、一晩中考えました。
その結果、知らんふりをすることにしました。
母も、いつものように、していました。
『バレたわけじゃないのかな。』と私は考えたりしました。

それから、片付けられていることが、2、3度ありました。
やっぱりばれているんだ・・と私は思いました。

その頃、父と母に呼ばれました。
父が言いました。
「お前は、『女嫌い』じゃないんだろう?」
私は、ドキッとしました。しかし、
「そんなことないよ。小さいときから、必ずガールフレンドがいたじゃない。」
と言いました。
「そうだなあ。いつも好きな女の子がいたなあ。」
と、父はいい、納得しました。
母も、安心したようでした。

母は、私の女装を知りながら、父にも長い間、相談できなかったことを思いました。
長い間、母を悩ませてしまったことに、
私は、良心の呵責を覚えました。

私が、アメリカから、女の姿で帰って来たとき、
一番驚かなかったのは、母だったと思います。


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プロフィール

ラック

Author:ラック
上は若いときの写真です。ISなので、体は、かなり女子に近く発育しました。でも、胸はぺったんこです。戸籍は男子。性自認も男子、そして女装子です。アメリカの大学で2年女として過ごしました。私の最も幸せな2年でした。そのときの自叙伝を書いています。また、創作女装小説を書いています。毎日ネタが浮かばず、四苦八苦しています。ほぼ、毎日更新しています。
どうぞ、お出でください。

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