「生涯で一番悲しかった決断」

「生涯で一番悲しかった決断」 

私は、アメリカから24歳で帰国しました。
女の姿で帰ってきました。
当面の働き口として、塾に勤めました。
ところが、この塾は変わっていて、
女として働いていいというのです。
その喜びと、塾の居心地の良さで、
4年半もいました。

私は、IS(性分化疾患)でしたので、
体の80%くらいは女性として成長しました。
男の証たるところがあることと、胸が膨らんでいないところが、男でした。

塾で4年経ったとき、年は28歳を超え、
そろそろ、自分のことを考えるべきでした。
女で一生を送ろうか、男として一生を送ろうか。
悩みました。
私は、普通にしていて、女に見えました。
ですから、女として生きる方が、たやすいことでした。
しかし、本物の女性に近づくには、
胸をなんとかしなくてはなりません。
アソコも、手術を受けて、女性のものにしなくてはなりません。

ところが、私の性自認は、「男」だったのです。
それなら、男になる治療を受けて、さっさと男になればよかったのですが、
ことを複雑にしていることに、私は、「女装子」でした。
せっかく女性的な体でいるのに、男になることは、
女装子の願望が許さないのです。

私の男子としての性機能は正常でした。
ただ、精子の数が少なく、子供を作ることは難しいと言われました。
しかし、可能性がゼロではないとも言われました。

私が女になる手術を受けた場合、子供を作れないことは、明らかです。
私は、悩みに悩みました。
男性ホルモンを投与して、髭が生えるようにすることなど、
自殺したいほど嫌でした。
せっかく女性の声をしているのに、男性の声になることなんて、
死ぬほど嫌でした。

しかし、私の性自認は、男でした。
女として、男性を愛せません。
女性なら、好きになれるのです。セックスもしたいと思うのです。
結局、自分の性自認が、最終的な決断となりました。
男になら、一応の機能をもった体になれるのです。
それを、考えて、私は、悲しい決断をしました。
女装という、生涯に渡る願望を封印しました。

男として、自分を社会に適応させるために、
3年間のトレーニングや、ホルモン治療をしました。

その後、私は結婚しました。
それを機に、女物や、女性としての写真を全部捨てました。
結婚して、10年ぐらいは、夫としての役割をはたしていました。
幸い、子供もできました。
しかし、女性時代の日々を思い出し、恋しくてたまらず、
ときどき、女装をしました。
私は、あまり、男性的になっていませんでした。
ですから、女装がまあまあ似合いました。
昨日投稿した歌ですが、
女声も出せるように、家族の留守に練習していたものです。

私の30歳代、40歳代は、
まだまだ、女性に見られて困りました。
だが、その時期も過ぎました。
今は、一応男に見られるようになりました。
悲しいような、安心なようなです。

以上が、私の生涯で一番悲しかった決断です。


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プロフィール

ラック

Author:ラック
上は若いときの写真です。ISなので、体は、かなり女子に近く発育しました。でも、胸はぺったんこです。戸籍は男子。性自認も男子、そして女装子です。アメリカの大学で2年女として過ごしました。私の最も幸せな2年でした。そのときの自叙伝を書いています。また、創作女装小説を書いています。毎日ネタが浮かばず、四苦八苦しています。ほぼ、毎日更新しています。
どうぞ、お出でください。

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