自叙伝「学校で泣いた日の思い出」

私は、物語は、ハッピーエンドで終わらせることが、信条でしたのに、
昨日は、とんだ悲しいお話を書いてしまいました。
民男君の物語として書いた「ぼくの民男くん」は、大ハッピーエンドですので、
お時間があれば、読んでくださると幸いです。

今回は、悲しいお話ではありません。女装もありませんが、
読んでくださると、うれしいです。
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自叙伝「学校で泣いた日の思い出」


私は、保育園、小学校で、2度泣きました。
その日のことを書きます。
保育園で場面緘黙であった私は、とても苦労しました。
トイレに行きたくても、先生にそれを言えませんでした。
だから、休み時間まで、必死に我慢しました。

みんなでやるお遊戯やゲームは、絶対やらず、
離れたところで、見ていました。

そんな私は、図工の時間だけが楽しみで、
絵を描くことが好きでした。
しかし、その絵は、2パターンしかなくて、
船の絵か、家の絵でした。
家があり、その家と同じ大きさの女の子がいて、
木が一本。女の子と同じ高さです。
もう一つは、海に浮かんだ船の絵でした。

私は、お絵かきの時間、その2パターンの絵を、
代わる代わる書いていました。
絵の時間は、それでいいと思っていました。
しかし、あるとき、先生に言われました。
「家と船の絵だけではなくて、他の絵も書いてみましょう。」
先生は、私に優しくおっしゃったのです。
そして、当然のアドバイスでした。

たった、それだけのことで、私の目から涙が出て来て、
私は泣いてしまいました。
「じゃあ、いいです。今の船の絵を最後まで描いて。」
と先生が言いました。
そんな言葉で、泣いてしまう私が、いけませんでした。

もう一度泣いたのは、3年生のときです。
新しい先生が、担任になりました。
背が180cm以上ある男の先生でした。
とても、熱心な先生でした。

その先生になって、初めての図工で、
粘土を使って、指人形を作っていました。
木の棒の先を新聞紙で丸めて、
その周りに粘土を貼って、おもしろい顔を作っていきます。
図工が1番に好きだった私は、張り切って作っていました。
3週に渡って完成させます。

2週目に、棒の先の顔が出来ました。
私は、会心のできだと思って、うれしくてたまりませんでした。
友達も寄って来て、「わあ、すごい。」と大勢誉めてくれました。
そのとき、先生がみんなの席を回って来ました。
そして、私の人形の顔を見て、
「ははん、お家の人に、手伝ってもらったかな。」
と言ったのです。
『ぼく一人でやりました。』と言えばいいのに、
それが、言えず、私は涙を流し、とうとう両腕に顔を伏せて、
泣いてしまいました。

となりの活発な女の子が、先生に言ってくれました。
「先生、純は、図工がものすごく得意なのよ。
 2年のときから、大人が描いたような絵を描いてたし、
 粘土なんかびっくりするほど上手だったよ。
 この人形の顔、純なら一人で作れるよ。」

先生は、慌てました。
「そうか。純、わるかった。ごめん。先生は謝る。純、ごめん。」
先生は私の机の横にしゃがんで、そう言いました。
私は、泣きながら、首を縦に何度か振りました。

しばらくして、私は泣き止み、隣の女の子にありがとうを言いました。

その日の、夜の7頃です。
背の高い先生が、私の家に来ました。
父と母が出ました。
玄関に座布団を出しても、先生は座ろうとせず、
「今日私は、純君を傷つけてしまいました。
 図工で作っている人形の顔が、あまりにもよくできていましたので、
『お家の人に、手伝ってもらったな。』と言ってしまいました。
周りの子達から、純君なら、このくらい作れると言われました。
純君には、あやまりましたが、それでは足りないと思い、
ご両親にも謝りに参りました。どうも、すいませんでした。」
先生は、そう言って、深く頭を下げました。

その当時、先生の身分は高くて、
先生が謝りにくるなど、大変なことでした。
父は、言いました。
「先生、そんなことでわざわざ見えるなんて、
 こちらこそ恐縮です。
 先生、ご心配には及びません。
 純は、家に帰って来ましてね。人形の首を私達に見せながら、
『先生から、お家の人に手伝ってもらったのかな。』
って言われたほどなんだよ。ね、すごいでしょう。
そう言ってました。
純は、泣いたそうですが、後から、すごく誉められたことになると、
気が付いたんでしょう。」
「そうですか。そうお聞きすると、私も救われます。
 しかし、教師として、不用意な言葉でした。
 反省し、今後気をつけます。」

先生が去った後、父は、
「純、いい先生だな。」と言いました。
「うん。すごくおもしろい先生だよ。」と私は、言いました。

先生は、その後2学期に、私をモデルにした劇を書き、
私を主人公にして、大きなホールでやる「連合演劇祭」に出させてくれました。
その劇に出たことで、私は、自信がつき、
クラスで、うるさいほどの活発な子供になりました。
いまでも、その先生に感謝をしています。


■次回予告■

エッセイを書きます。


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アメブロの方で押してくださると、幸いです。



りえさんへ
今コメント機能が働きません。
ご返事ができず、こんなところに書いています。
うれしいコメントを、ありがとうございました。


marine55さん。
今コメントの返信機能が働きません。
↓  ↓  ↓
ここにご返事を書きました。見つけてくださると幸いです。


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いいお話

はじめまして。

とってもいいお話ですね。
今までのエッセイも読ませていただきました。これからも、読ませてください。ありがとう。

図工の悲しい思い出

ラックさん

この話を読んで私も思い出してしまいました。
私も図工が大好きで、小学校の卒業記念にみんな誰かにプレゼントをしようということになりました。
誰にあたるかわからないし、誰からのかもわからないプレゼントです。

わたしは、針金をぜんまい状にして、人形をつくりました。
倒れても自分で起き上がる人形でした。
卒業したら、違う中学校に行く人がたくさんいます。
そんな誰も知らない中学校でも頑張りましょうという気持ちを込めて作った人形でした。
その人形が、クラスのとても美人でおしとやかな人に当たりました。
わたしは、内心、ドキドキしていました。
ところが、周りのみんながもらったプレゼントに喜んだり見せ合ったりしている中で、その子だけ、じっと下を見て涙をこらえていました。
その子にしてみれば、なぜ、こんなかわいくないぜんまい人形なの?という気持ちと、楽しげにプレゼントを見せ合っている友達がうらやましかったのだと思いました。
そのとき、それを見た私は、その子の悲しい気持ちが私に押し寄せてきて、一気に涙が出てきました。
弱虫の私は、その子に、そのプレゼントは私が作ったものです。ごめんなさいとは言えませんでした。

今でも、その子の下を向いて涙をこらえていた姿が思い出されて、心が痛みます。

marine55
プロフィール

ラック

Author:ラック
上は若いときの写真です。ISなので、体は、かなり女子に近く発育しました。でも、胸はぺったんこです。戸籍は男子。性自認も男子、そして女装子です。アメリカの大学で2年女として過ごしました。私の最も幸せな2年でした。そのときの自叙伝を書いています。また、創作女装小説を書いています。毎日ネタが浮かばず、四苦八苦しています。ほぼ、毎日更新しています。
どうぞ、お出でください。

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